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329    ARTISTS    NANJAMAN

NANJAMAN
HISTORY OF NANJAMAN
 
Interview by Naohiro Moro / Photo by Fumi
 

 レゲエを歌うためにマイクを持って今年で22年、"ハマの兄貴"として慕われ続けているDJ、Nanjamanが自身初となるベスト盤『The Best』をリリース。永遠のルードボーイである彼ならではの鋭く、そしてやさしい眼差しから歌われるビッグ・チューンが満載だ。今回はそれらの曲のベースとなっている彼自身の生い立ちについてインタヴューした。
 
 「昨日、夜中までPVの撮影してて...。オレ、今まであんまりPVみたいなもの、作ってなかったから、今回、『Tsure』と、前作のアルバムに入ってた『Yes Me Friend』を新たに撮影して、あと、『行きたきゃ行け』は、過去のライヴ映像をいろいろ編集し直して、3曲分作ってん」
 
 辻堂、平日、午後2時、雨。取材のために入った喫茶店で、Nanjamanは、彼らしいテンポで話し始めた。
 
 「池袋に刑務所の中のセットがあるスタジオがあって、そこに昨日、撮影で行って来てんやけど、『Yes Me Friend』のPVの設定が、街なかで女が絡まれてるところを助けたら、逆に傷害で刑務所に入ってもうた奴が主人公で、実はそいつはサウンドマンやったっていう話やねん。そんで、そいつが出て来てダンスに行って仲間に再会するみたいな...。ムーダ・ワンのイケヤンやら、ミツやら、みんな結構、出てんねん。オモロいよ」
 
 「最近、泳いでんねん、オレ。プールで、2キロぐらい。ええよ、水泳は。あとはジョギングやね。走るときは、浜を10キロぐらい走んねん。一時、何や、ライヴの時にしんどくなってきた時期があって。アカン、思うて鍛え直して...。調子ええよ、今は」
 
 "ハマの兄貴"も湘南に移住して、もう10年近く。茅ヶ崎の柳島から、藤沢の辻堂に居を移し、すっかり"湘南の兄貴"でもある。
 
 今回はベスト盤ということもあって、改めてNanjamanの過去、キャリアの最初の頃などについて聞いてみた。考えてみると、今までそういった質問をしたことが無かったと思う。
 
 「池田? 池田はね、大阪のはずれの方の、山とかある、結構、田舎の方で、川を1本渡ったら兵庫県、っていう様な場所やね。特に池田が、不良が多い場所やったとかそんなんは無いと思うけど、オレらの世代はヤンキーも多かった時代でしょ? 校内暴力とか、暴走族とか...。だから、大阪だからとか池田だからとかじゃなく、周りはみんなそんなんやったって気がするんやけどね」
 
 「ほんまに『Ya-Me-To-Ki』とかは池田時代の実話やね。一時、周りの仲間がシャブにハマってもうた時期があって、シャレにならん状況にどんどんなってもうて...。もうあの歌の通りやから。結局、オレも2回も高校中退してもうたし。それから頑張ろうと思って大学は大学検定を受けてから受験してん。それで神奈川に来てんけど、今思えば、そういった大阪での周りの状況をリセットしたかった部分もあるんやろね。せやから、大阪時代のこと歌った曲は、いろんな意味で懐かしいし、確かにそういう想いが入ってるかも知れんね」
 
 Nanjamanの歌は優しい。その歌われた対象を見つめる眼差しが優しい。そういう歌は、やはり、実話にもとづいているのだろう。今回PVが作られた『Tsure』と『Ya-Me-To-Ki』は、その中でも秀逸な、気持ちの詰まった2大タイトルと言えるだろう。表裏一体の2曲なのである。
 
 神奈川に移住してからレゲエを始めたNanjaman。音楽的なベースは関東から始まっている。
 
 「88年に初めてジャマイカ行ってん。『サン・スプラッシュ』観に...。とにかくその頃は、レゲエが好きやったんやけど、ダンスホールやサウンド・システムとかは全く知らないで...。ブラック・ウフルが好きやってん。そんで、『レゲエ・マガジン』なんて本が出てることも知らんかったし...。そのツアーで渋谷君に会って...。そんで渋谷君が『オレが回すわ』って言うから、『ほんならオレが歌うわ』って言うて(笑)」 
 
 タクシー・ハイファイのセレクターであり、本誌でもよく執筆されている渋谷"Thunder Killa"知憲氏である。
 
 「そん時、オレはあんまりダンスホール・レゲエとか知らんかったから、サウンド・システムの音を聞いて、何や盆踊りかいな、て思うたりしてたんやけど、渋谷くんは詳しかったよ、もう既に。その後、日本に帰ってからやね、歌い始めたのは......。渋谷くんと色んなダンスに行ったりして......。そんでいっぺん、本牧のZemaの最後の方に行って、そこでちょっと歌わしてもらおうとしたら、若いDee Jayが出て来たんやけど、それがJunior(Dee)やってん」
 
 Nanjaman、Junior Dee、Papa U-Geeの3本マイクが揃ったBanana Size HiFiの始まり頃の話だ。横浜のレゲエの始まりに大きな影響を与えた出来事である。それからのレゲエの歩みを、横浜シーンの中で、リアル・タイムに一緒に過ごして来た人々がNanjamanを"ハマの兄貴"と呼び、慕っている。それ故、Nanjamanは、関西弁で、辻堂在住だけど、永遠のレゲエ界の"ハマの兄貴"なのである。
 
 「そやね、こうやっていろいろ動いて作ってみるとベスト盤っていうのも、何や、記念みたいな感じになるね。せやけど、オレ、長いこと歌って来てんけど、ファースト・アルバム出したの2002年やねん。まだ、ついこの間やね(笑)」
 
 そう言って他人ごとの様に笑っているのだ。彼といて身構えてしまう様なことは一切無い。そんな彼を慕う、多くの個性的な爆音シンジケート・メンバーを従えて、精力的に活動を続けるNanjaman。彼の心のこもったリリックの数々を、ぜひこの機会に多くの人に改めて聴いてもらいたい。
 

「The Best」
Nanjaman
[Formula / 爆音Syndicate / QWCF-10035]

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